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セラピストへの道のり

セラピスト 大矢 祥子(おおや さちこ)

所属

2015年より米国カリフォルニア州認可のスピリチュアルスクール、ワンネスインスティテュートに在籍 認定目タフフィジオセラピスト

資格、経歴

2013年9月 

タマラプラクティショナー

2016年3月 

クォンタムタッチレベル1

2015年9月~2016年11月 

ワンネスインスティテュート、カウンセリングコース、セラピストコース受講

2017年4月 

ワンネスインスティテュート認定、ヴァイブレーショナルヒーリングマスターヒーラー 

2018年1月

ワンネスインスティテュート認定セラピスト      

セラピストへの道のり

幼いころ

私は両親に愛されて幸せでした、特に父は私を可愛がってくれて、私も父が大好きでした。

そのころはこの幸せが壊れることなど疑ってもいませんでした

 

最初の試練 

 

4歳くらいのとき、父が単身赴任中に母が私を連れ別の男性の元に出て行ってしまったのです。その後、父と母は離婚、一人娘の私を父も引き取りたかったのですが、母が私を放さず私は母と暮らすことになりました。

母はその後、私が7歳の時に父親違いの弟を出産しましたが、弟が生まれてからは弟ばかりを可愛がるようになりました。

大好きだった父と会えない寂しさ、私も母に愛されたいのに、振り向いてもらえない悲しさ。その思いを母に伝えることはできず、泣きたい思いをがまんしていました。

 

そんな私を慰めてくれたのは自然でした。そのころは野原や緑がまだたくさんありました。小さな草花やタンポポの柔らかな綿毛、夏の美しい青いつゆ草や夕暮れに鳴くひぐらしの声、空の雲や沈む夕日の色、頬を撫でる風、くすぐったい猫じゃらし、冬の陽だまりの暖かさ、優しい雨の音までもが、私を励まし元気にしてくれました。

そんな自然に触れるとき、どこかに自分が愛される光輝く別の世界があるのではないかと、幼い心に漠然と感じていました。

 

光のメッセージ

 

小学校高学年だったあるとき、母が、「子供は平等に可愛いというけれど、そうではない、あの子は好きじゃない」と私のことを人に話しているのを偶然聞いてしまいました。

自分は誰にも必要とされず母からも嫌われている存在、その、ショックと悲しみに、生まれてこなければよかった、いっそ死んでしまいたいと思い、布団の中で一人で泣きました。

 

そのころ、母の知人が送ってくれた小冊子を何となく読んでいると、「人間は神の子であり、その本質は神と同じものであり肉体だけの存在ではない」と書いてありました。

何故かその言葉が心に残り、自分が生まれてきたことにも何か意味があるのではないだろうか、きっと自分も生きていて良いのだと思えました。

それは私が受けとった、ワンネスからの最初のメッセージでした。

 

そのときから、それまでも何となく、心のどこかで感じていた、愛に溢れた何か大きな存在を意識するようになりました。

 

最大の試練 

 

大人になり、夫との間には2人の男の子に恵まれましたが、元気だった次男が高校1年生の15歳の時に突然盲腸がんを発病したのです。

 

手術の後は再発予防のために6時間ごとに飲む抗がん剤での治療を選択しましたが、その副作用での体調の悪さ、好きだった部活も出来なくなり、次男は荒れていきました。

それでも抗がん剤治療が終わりに近づき、部活の夏の合宿にも行けると思っていた矢先、突然の腹痛におそわれました。検査の結果は手術からわずか9か月での腹膜播種という形での再発。そして余命宣告でした。

 

きっと何事もなく5年が過ぎ、治ると信じ、祈るような気持ちで毎日を過ごしていたのに!なぜ私ではなくこの子なのだろう!どこにもぶつけようのない怒りと悲しみは私たち家族を絶望のどん底に突き落としました。

 

そして、根治は見込めず副作用の強い点滴での抗がん剤治療を次男は拒否。

その治療に希望を見出そうする夫と次男の対立。夫も次男を精一杯に愛し苦しんでいる。次男は彼なりに精一杯に生きようとしている。

それぞれが苦しく、私は夫のようには、抗がん剤治療に希望は見出せず、その狭間で苦しみながら、心が壊れそうになるのを必死でこらえていました。

そんな私の心を救ってくれたのは、「人間は肉体だけの存在ではない」というスピリチュアルな教えでした。

ある日次男が「人は死んだらどうなるのだろう」と、私に聞いたことがありました。

 

「皆生まれる前にいた世界に帰る、そして次に生まれる準備をする、人は学びのために何度も生まれ変わり、たくさんの経験をして魂を成長させていくんだよ」と、答えました。

「俺はまだ1回目だな、全然人間が出来ていないから….」次男がつぶやきました。

 

その後、高校を中退し、2回目の手術を選択しました。根治ではなくQOLのための手術でしたが、食事もとれるようになり、数か月は元気で過ごすことができました。彼は取りたかったバイクの免許を取り、「仕事をしたい」と、友達のお父さんの工務店で働かせてもらい、恋も失恋も経験しました。

夫は「たくさんの経験をさせたい」と、北海道の雪まつりや夏には夫の妹がいるラスベガスへ家族を連れて行ってくれました。

 

その後は波動を利用した代替療法を行い痛みはなくなりましたが、治ることはなく自宅で亡くなりました。駈け抜けた17年と9か月の生涯でした。

亡き息子からのメッセージ

 

次男が亡くなって暫くしてから、どうしようもなく悲しみが込み上げてきたことがありました。

元気だったら考えもしないような小さな後悔の数々、あの時もっとこうしてあげれば良かった、この時こう言ってあげれば良かった。私ではなく別の母の元に生まれていれば、病気にもならずに幸せに大人になれたのではないだろうか。

そんな風に思え、悲しくて、大声をあげて泣きました。

 

それから数日後、そのころは気晴らしのために新しい仕事にも就き、その帰りに着付け教室に通っていたのですが、そこに来ていた着物画家の先生から、1枚の色紙を頂きました。そこには可愛い絵と一遍の詩が書かれていました。

 

「愛すること、愛されること、そして永遠の愛」

「生きてよかった、信じてよかった、夢見てよかった、あなたを愛してよかった」

「いのちいっぱいに自分の花を咲かせて幸せに」

 

この詩を読んだとき、突然、次男の深い愛に包み込まれたような感覚におそわれ、涙があふれ出しました。そして、これは亡き次男からのメッセージだと直感したのです。

 

あの子は私の元に生まれてきてよかったのだ、そして、「幸せに生きて」と、励ましてくれている。心からそう感じられたのです。

夫に話しましたが夫はピンと来ず、私は「お父さんにも分かるメッセージを頂だい」と、心の中でお願いしました。

 

それから数か月後、携帯電話を買い替えに行ったとき、夫の新しい携帯のメールボックスに1通のメールが入っていました。

開いてみると、「今から帰るから」、という次男からのメールが1通だけ、古い電話から移ってきていたのです。私は次男にお願いしたことを思い出しました。「お父さんにも分かるメッセージを頂だい」という願いをちゃんと叶えてくれたのです。

 

人は肉体がなくても存在する、しかも心で思うだけで亡くなった人に思いを届けることが出来る、むしろ肉体があるときよりもダイレクトに通じるのです。

そして、必要であれば、この世のありとあらゆるツールを使い、メッセージを伝えてくれるのです。

今は次男は私のスピリットガイドの一人になり、セラピストとしての私を助けてくれているのを感じることができます。

 

次男の病気を通してたくさんの人たちの暖かさにも触れました。どの人も胸にそれぞれの色の光を宿していました。

私の人生で最も辛く悲しかった経験が命の輝きと美しさを教えてくれたのです。

 

スピリットは永遠の存在だけれど、この世で過ごせる時間には限りがある。だからこそ、悔いのないように自分の人生を精一杯に生きたい。

それからは、どんな命も美しく、愛しく感じるようになりました。

 ∝∝∝必要な学びと気づき 

 

私は事務職が長かったのですが新しく就いた仕事は営業職でした。

数字を求められる厳しい世界でしたが、最初は刺激もやりがいもあり楽しかったのですが、役職になり全体像が分かると、まるでテレビドラマのような嫉妬や派閥争いなど様々なもの見えてきました。

そこには同調できず、そうかと言って、それに反対する自分の意見も言うことができず、徐々に人間関係も上手くいかなくなりました。

 

そのころ、ワンネスインスティテュートで初めて叶礼美先生に出会い、クリスタルセラピーやサイキック能力開発などを学び始めました。

そして、今まで、自分なりに勉強してきた、スピリチュアリティについての、疑問や納得できなかったことが、全て腑に落ちたのです。

 

人は皆、源(神)の断片であり全てはひとつ(ワンネス)であること。

自由意志を持ち、より深い愛を学ぶために転生を繰り返している存在であること。

やがてはその愛を持って再び源と融合するために。

教義や儀式は必要なく、全ては経験で罪も罰もないこと」 やっと求めていた答えにたどり着いたのです

パワーストーンセラピーでは、テラグラムを乗せると、涙があふれ、子供のころの母との関係での悲しみが堰を切ったようにあふれてきました。

自分では、母を許し、解決していたと思っていたのに、癒されていない幼い自分がいたのです。

 

その後もクリスタルを使ったパワーストーンセラピーをするたびに、たくさんの感情の解放がおこり、その度に、どんどん自分がクリアに軽くなり自分の中の光が強くなっていくのを感じました。

 

すると、今まで見ていた景色が変わり美しく輝きだしたのです。木々は語りかけ、空も、花も、葉っぱの一枚一枚すら美しく、この世はなんて美しく、喜びに満ちあふれているのだろう!そう感じるようになったのです。

 

この感動を伝えたい、この世に生きることの素晴らしさを、その喜びを、皆に感じてほしい、その思いは日増しに強くなっていきました。

そして、それを伝えることが、自分の魂を生きることだと気づいたのです。私はセラピストとしての道を歩き出すことを決めました。

 

退職することを決めると、自分の言いたいことも言えるようになりました。すると、不思議と人間関係も上手くいくようになったのです。

そのころは、ワンネスインスティテュートでの学びのおかげで、どんな状況の中でも相手の中の光を見ることを意識するようになっていました。

人は自分の認めたとおりの世界に生きる、本当にその通りでした。

 

営業の仕事ではたくさんの人と関わり、たくさんの学びがありました。

事務職が長かったのに、なぜこの仕事を選んだのか、自分でも不思議に思っていましたが、セラピストとしての道を歩き出すためには、そこでの経験も、そこを思い切って立ち去ることも私には必要でした。

 光の導き 

 

幼いころから私は、何か物事がおこったときに、どうするのが最善か、直感的にその答えがやってくるのを感じていました。

それはインスピレーションというのか、答えがピンっと降ってくるような感覚でした。

何か選択を迷ったときは、自然に自分の体感を使い正しい選択をしていました。

 

また、色々なメッセージを言葉で受け取っていました。

次男が病気だったとき、病院の入り口にある木が語りかけてきたことがありました。「大丈夫だよ。失うものは何もないから」と。

家の近くの街路樹のけやきの木は「全てはひとつで、みんなつながっている」というメッセージをくれました。

聞こえるというよりはテレパシーのように、頭の中に突然言葉が浮かぶような感覚です。

樹木からのメッセージは愛にあふれた優しいものでした。---

幼いころから、私はたくさんの目には見えない存在から守られてきました。

 

子供のころ、自分は不幸だと思っていたときも、次男の病気と死の悲しみで絶望の中にいたときも、どんなに暗闇の中でも、ワンネスからは愛の光が注がれていたのです。

 

スピリットガイドたちは、ある時は風や草花になり私を慰め、ある時は偶然手にした書籍を指し示し、私を導いていたのです。どんな時も私は愛され、決してひとりではなかったのです。

                                    

人は皆、それぞれの愛を学び、その愛を表現するために生まれてきます。

悲しみや困難と思える出来事は、より深い愛を知るための聖なるクリスタルだったと気づき、本当の魂を生きはじめたとき、湧きあがる喜びを感じます。

ありのままの自分を認め、受け入れ、愛するとき、胸の中の光は輝きだします。

若くても、年齢を重ねていても、それは関係ないのです。

セッションメニューのご紹介

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セラピストprofile

大矢 祥子
おおや さちこ
資格、経歴

米国カリフォルニア州認可スピリチュアルスクール、ワンネスインスティテュート在籍

 (2015年9月より)

  • クォンタムマネジメントインストラクター   (2018年8月)
  • ワンネスインスティテュート認定セラピスト  (2018年1月)
  • ワンネス・ヴァイブレーショナル・ヒーリング・マスターヒーラー

 (2017年4月)

  • heavenly crystal 中上級コース終了

 (2016年4月)

  • クォンタムタッチレベル1

 (2016年3月)

  • タマラ・プラクティショナー

 (2013年9月)

ごあいさつ
しっかりとお話をお聴きし、お客様のこころに寄り添う丁寧な対応を心がけております。
セラピストへの道のりでは、これまでの私の道のりと、
なぜセラピストとしての道を歩みはじめたかを記しております。お読みいただければ嬉しいです。